華厳経疏序(澄観)
往復無際、動靜一源、衆妙を含みて餘有り、言思を超えて迥に出る者は、其れ唯だ法界か。
玄微を剖裂し、心境を昭廓し、理を窮め性を盡し、果に徹し因を該ね、汪洋として沖融し、廣大にして悉く備はる者は、其れ唯だ大方廣佛華嚴經のみ。
故に我が世尊、十身初めて滿ち、正覺始めて成り、願行に乘じて以て彌綸し、虚空を混じて體性と爲し、萬徳を富有し、蕩ひて纖塵無からしむ。
智海の澄波を湛へ、虚にして萬象を含み、性空の滿月を皦くし、頓ち百川に落す。樹王を起たずして七處を法界に羅ね、後際違ふこと無くして九會を初成に暢ぶ。宏廓の幽宗を盡し、難思の海會を被ひ、圓音落落として十刹を該ねて頓に周く、主伴重重として十方を極めて齊しく唱ふ。
空空として迹を絶つと雖も、而も義天の星象燦然たり。湛湛として言を亡ずるも、而も教海の波爛浩澣たり。若し乃ち千門を潜かに注ぎ、衆典と洪源を爲し、萬徳交歸し、群經を攝して眷屬と爲す。
其の旨爲るや、眞體を萬化の域に冥じ、徳相を重玄の門に顯し、用は繁興して以て恒に如たり。智は鑑を周くして常に靜たり。眞妄交徹して凡心に即きて佛心を見、事理雙修して本智に依りて佛智を求む。理は事に隨ひて變ずれば、則ち一多縁起は之れ無邊、事は理を得て融ずれば、則ち千差渉入して無礙なり。故に十身歴然として相作し、六位亂れずして更收むるを得。廣大は即ち無間に入り、塵毛包納して外無く、炳然として齊しく現ずること、猶ほ彼の芥瓶のごとし。具足して同時なること、之を海滴に方ぶ。一多無礙なることは虚室の千燈に等しく、隱顯倶に成ることは秋空の片月に似る。重重交映することは帝網の垂珠の若く、念念圓融することは夕夢の世を經るに類す。法門重疊することは雲の長空に起るが若く、萬行芬披することは華の錦上に開くに比す。
若し夫れ高くして仰ぐべからずんば、則ち積行の菩薩も腮鱗を龍門に曝し、深くして闚ふべからずんば、則ち上徳の聲聞も視聽を嘉會に杜ぐ。見聞を種と爲せば八難に十地の階を超え、解行躬に在れば一生に曠劫の果を圓にす。師子奮迅して衆海、頓に林中に證し、象王迴旋して六千、道を言下に成ず。明を東廟に啓き、智滿つるも初心に異ならず。位を南求に寄せ、因圓なるも毛孔を逾えず。微塵の經卷を剖ずれば則ち念念に果成じ、衆生の願門を盡せば則ち塵塵に行滿つ。
眞に謂つべし、常恒の妙説、通方の洪規、稱性の極談、一乘の要軌なりと。斯の玄旨を尋ね、却て餘經を覽れば、其れ猶ほ杲日の天に麗りて衆景の耀を奪ひ、須彌海に横はりて群峰の高きを落すがごとし。
是を以て菩薩は祕を龍宮に搜り、大賢は東夏に於て闡揚す。顧み惟れば正法の代は尚ほ清輝を匿すも、幸なる哉像季の時、斯る玄化に偶ふ。況や聖主に逢ひ、靈山に在るを得、幽宗に思を竭すをや、豈に慶躍無からんや。
題に大方廣佛華嚴經と稱するは、即ち無盡修多羅の總名なり。世主妙嚴品第一は、即ち衆篇義類の別目なり。大は曠兼にして無際なるを以てし、方は正法にして自持たるを以てす。廣は則ち體に稱ひて周し。佛は斯の玄妙を覺るを謂ひ、華は功徳萬行を喩へ、嚴は法を飾り人を成すを謂ふ。經は乃ち無竭の涌泉を注ぎ、玄凝の妙義を貫き、無邊の海會を攝めて終古の常規を作す。佛及び諸王は並びに世主と稱し、法門の依正、倶に妙嚴と曰ふ。義類を分ちて以て品名を彰し、群篇に冠して第一と稱す。斯の經に三十九品有り。此の品初を建つ。故に大方廣佛華嚴經と云ふ。